『八月のシンデレラナイン』に関するあれこれと、ほんのちょっとの独り言
こんばんは。
今回はアプリとしての「ハチナイ」だけではなく、もっと広い意味での「ハチナイ」を俯瞰して、考えたことを何となくつらつらと書いていこうかなと思っています。褒めるような感想もあれば、辛辣にこき下ろすようなコメントも多いよ、ということだけまずご理解ください。それが受け付けないという人は回れ右で。よろしくお願いします。それくらいはしようね。最低限。
アニメ『八月のシンデレラナイン』についてのあれこれ
先日(と、言っても既に最終回からは一か月ほどが経っていますが)アニメ『八月のシンデレラナイン』の放送が終了しました。正直、あの(悪い意味です)角川が一枚噛んでいる時点で、アニメ化までは行くつもりで始められたコンテンツだろうという気はしていたので、そこまで驚きはなく、それなりに楽しみながら見させていただきました。
内容に関しては……どうだろう。自分が褒めて何かが変わるものならするんですけど、どうせ「作画がね……」といって敬遠されるのは目に見えてるので余りやる気はありません。
ただ、端的に言えば「個人的に見たかったラインのハチナイシナリオ」が展開していたんじゃないかと思っています。具体的な話で言うと「女子が甲子園」「野球や青春を通じた(テンプレート解釈な)成長」という二点がごっそりと無くなり、純粋に「野球を好きな少女たちの物語」になっていたのが好印象でした。キャラクターによっては出会い方が良かったことで大分「最終ラインとしてのキャラクター」を既に歩んでいるキャラも多く。その意味でも良い世界だなと思いました。特に東雲とか。
作画に関しては多分「人的リソース」が足りないのだろうなと思っていましたし。スタッフから漏れ聞こえる話でもそのような話が見え隠れするので多分それが真実なのでしょう。この辺りの人的リソース不足は長い事叫ばれているのですがなかなか解決しないのが個人的には何とも残念でしかたありません。折角現場は良いものを作ろうとしているのに、それが活かされない状況を作り上げるのはいったい誰なのか。
そんな事もあり、大分悩んではいたのですが、「けいおん!」の劇場版以来のBD購入と相成りました。考え直してみれば「ゲームとしてのハチナイ」は大分嫌いになっているのですが、「コンテンツとしてのハチナイ」はまだまだ好きなので、それなら買ってもいいのかな、と。まだ一巻の時点では小也香は出てきませんが。
DMMのコード入力をしただけで実はまだ見ていなかったりします。まあ本編自体は一度見ていますし、その内時間を見つけて作画の修正でも確かめながら楽しみたいと思っています。取り敢えずはフィジカルなものとして持っていたいという欲求が先にあったもので、棚に並べて喜んでいるという感じ。この辺が案外大事なんですよ。うん。
新宿の『八月のシンデレラナイン』広告について
今日までこんな広告が出ていました。
本日より<グランドの土を使ったキャラクターアート>を新宿駅メトロプロムナードに掲出中です!
— 【公式】八月のシンデレラナイン[BD第1巻発売中] (@hachinai89) 2019年8月12日
場所:東京メトロ丸ノ内線・新宿駅メトロプロムナード
期間:8月12日〜8月18日(予定)
近くにお立ち寄りの際は、是非お楽しみください✨
※電鉄、駅、及び駅員へのお問合せはご遠慮ください pic.twitter.com/iGg1oCg4e4
初日から、というエネルギーはありませんでしたが、金曜日に新宿を通りかかったので、折角だからという事で見てきました。
アプリ版ということで、見慣れたメンツとシーンが並んでいるわけですが、やっぱりサンドアートというのはインパクトがありますね。他にも色々な広告を出しているのですが、これが一番立ち止まっている人の数が多かったような気がします。まあ、珍しいし、写真に取ってアップしたら映えますしね。そういう意味でも非常に面白い企画だったのかなぁと思ってます。
今後の『八月のシンデレラナイン』
シナリオについて
現在『ハチナイ』は八夏祭という毎年何かしらの問題が起きる、あまりいいイメージの無い催し物(?)をやっています。
ハチナイ同様進級をしたバンドリとは違って、ハチナイにはやっぱり夏の大会があります。季節が過ぎているけど進級はやんわりと触れなかったバンドリとは違って、どうしても夏に(コミカルな話を除くと)大会の話をしていないのは不自然感が出るんじゃないのかなと思っているのですが、今のところはなんとかなっている気配。いや、いいんですけどね。別に急いでやるものでもないでしょうし。
今後の展開に関しては正直な所もう大体分かっているので、個人的にはある意味達観して見ているというのが大雑把な感想です。まあ、それくらいのこともっと早く気が付けよと言われれば返す言葉も無い訳ですが、自分が大体見えたのが下記のシーンを見た時。
監督名が自分になってますね……後、シーンは途中をカットしてますので、気になる場合はアプリをやってもらえればって感じで。内容的に一年の話をある程度追ってからじゃないと分かりにくいかもしれませんが。
このシーンを見た時に「ああ、なるほどね」って納得すると同時に、シナリオ面での大体の動きが分かったんですよね。全体からすれば三分の一くらいの時点なので、ここで読まれちゃうのはちょっとまずいのかなぁと思うのですが、本来これは「読めた方が嬉しい」タイプの流れなんですかね。
ゲーム版のシナリオはアニメといくつか違うところがあります。
ひとつは「監督の存在」。これはまあ、色々あるでしょうが、ゲームとしてやる以上プレイヤー自身がどこかにいないといけないという認識からでしょうか。大体のゲームで「可愛いキャラを鑑賞するだけの場所」に座ってる事が多くって「もうそれ要らなくね?」と思うことも多いのですが。
ふたつめは「甲子園」。これがまずシナリオという点では明確に違います。アニメ版の有原は、野球好きで女子野球部を立ち上げてはいますが、女子が甲子園で野球をするという事は全くと言って良いほど考えてもいません。あくまで「女子の大会に出場する」こと。そして「野球を楽しむこと」を念頭に置いている(細かな意識はありますが概ねこの二つ)といっていいでしょう。
一方アプリでは明確に「甲子園」というフレーズが登場しています。この辺りが違うのですがここは面倒なのでいったん脇に置きます。
で、みっつめが「青春を通じた成長」。これが上記の話を見た時に自分が感じた軸です。まあ何となくは感じていたんですけど、ここまで明確にやると思っていなかったというところもあって、割と驚いた、というところでしょうか。
どういうことかと言いますと、監督(ここでは自分のHN蒼風になっています)は最初肩を壊しています。どういう症状か具体的には余り明言していませんが、その影響もあって投げるだけで痛みを感じるレベルだった。だから野球をやめたけど、有原の頼みもあって監督として再び野球に関わるようになった。これが元々のストーリーです。
で、その彼が進級とともに肩の痛みが無くなる。スクリーンショットは貼っていませんが、この後椎名が色々と考えるシーンも入っています。これだけではなく、様々なキャラクターが自らのこだわり(ないしはトラウマ)を克服したりして「成長」する姿が描かれています。その流れを見て「ああ、なるほど」と思ったのです。
要は野球部という努力とかそういう爽やかっぽい青春体験を経て、人々が「成長」する。そして、その思い出を胸に抱えてそれぞれの道を歩んでいく。それがハチナイの大まかな目指す最終地点なんだなと。その理解と時系列の整理を経ると大分各キャラクターの過去現在未來が繋がってくるにはくるのですが、ここに一つ、気になる所があるわけです。それは「成長」というフレーズ。
いや、自分が勝手に掲げたフレーズなので、実際に向こうが考えているのかどうかは分かりません。しかし、近いフレーズは必ず頭の中にあるはずなのです。その「成長」なんですが、ちょっとこう、テンプレートだなぁと個人的には思う訳です。いや、そんな認識で書かれてるもんがマジョリティですけどね。
その辺り、好きだなぁと思うのがこれ。『乙女理論とその周辺』の一説。相変わらず端折りながらですが。
細かい事はここでは書きません。ただ、一つだけ言えるのは、彼女は所謂世間的に良く見る「成長」をしていないと思うのです。
もちろん、ひきこもり的な活動はやめましたし、このシナリオでは最終的にかなり積極的に動くようにはなっています。ただ、それでも本質は変わりません。やっぱり「大蔵りそな」は「大蔵りそな」でしかない。その辺りの「軸」は全く動かず、それを変えるべきものだとも捉えていない。
ところがハチナイもそうなのですが、大体の作品ではその「軸」を「より理想的なもの」に変える事。それが「成長」だと捉えている節があります。これが個人的には好きでは無くて、その辺の滑らかではない変化があんまりなーと思っている訳です。まあ、キャラクターにもよるんですけどね。倉敷辺りはこのタイプとしっくりハマるのか割と違和感はない作りになっているんですよね。あれは自分の本質では無く認識を変えるだけ、だからでしょうか。
それから上述した「甲子園」に関してもまた、面倒なところがあります。創作物にけちをつけることで何かが変わると妄想する団体の話はさて置いて、それとは関係なしに個人的には「甲子園」の軸は要らないものだと考えています。そこにはもちろん「高校生がスポーツの場において、男女混合でやるというのが非現実的である」というのもあります。ただ、それ以上に「表現が曖昧すぎる」というのがあります。
有原は「甲子園」について具体的な言及をしていません。恐らく「女子も男子と一緒に甲子園大会に出場する」ということを言いたいのだとは思いますが、それをフィクションでやる場合、当然理論周りの説明がまず優先されます。しかし、それはない。
もうひとつ可能性はあります。例えば「女子も甲子園で大会をやりたい」。これなら割と現実的ではありますが、その場合「甲子園」と「普通の夏大会」の違いが少なく、物語として何かをかけて挑むにはやや弱いです。
そして、この「甲子園」。とにかくこれに帰結したいのか、今までの論理からはややとんだところにあるのにもかかわらず急旋回して「甲子園に行く」と言い出す。これが個人的に凄く違和感が大きいのです。アニメ『八月のシンデレラナイン』のシナリオに満足できたというのはそういう理由があったからなのですが、とにもかくにもシナリオ構築上「いらない要素」を抱え込んでるな、というのが個人的な感想です。もっと純粋に「野球をやる少女」で良かったんじゃないかなぁと思う訳なんですよね。うん。
ゲーム自体について
シナリオに関してはある程度「ああ、こんな感じね」が見えて、いい意味でも悪い意味でも「想定の範囲」を超えてくることはないだろうな、という感じなのですが、それ以外の部分。特にゲームの運営に関しては完全に自分の予想を下回り続けるという感じです。小也香を含めたプラスもあって一定の課金はしていたのですが、それも打ち止め。有償石もこれを書いている時点では後3個とほぼなくなってしまいました。
細かな事をつつけばきりがないのですが、大体の問題点はひとつに集約できるかなと思っています。すなわち「課金のさせ方が絶望的にへたくそ」。
例えばこれ。デレストのハードモード。
重要なスキルを習得するために必要なアイテムを入手するモードにも関わらず、その難易度はべらぼうに高く、一部の選手を持っていないとクリアもままならない。先日サポート選手が追加されましたが、その半分はガチャ産SSR。呆れるのにも飽きたという感じです。
この手の話をすると大体「課金している人間が有利になるのは当然」とさも、得意げに語ってくる人間が出てくるわけなのですが、課金している人間が有利になるのはそれによって入手したコンテンツで終わりで良いはずなんですよ、基本は。
例えばSSRが確定で入手できる有償石限定のガチャに課金をしているのであれば、その時点で一枚SSR数の期待値が多いわけですから、それが課金の旨味で良いはずなんです。それ以上を要求するのは自分はお門違い(或いはそもそもそんな要求をしないといけないレベルの課金要素しか提供できていない運営が駄目)だと思う訳です、正直。
で、結局、こうやってハードルを高くすることは何に繋がると考えているかと言えば、やっぱり「課金」なんだと思うんですよ。要は「難しいモード」をクリアする為に必要な選手をガチャで出して、それで課金させようみたいな魂胆。概ねハチナイはこういう流れを(意識が善か悪かは横に置いておくとして)とっている。これが大体の問題点かな、という感じなんですよね。
このシンデレラスカウトもそう。結局恒常の選手でも、ピックアップ外から登場しないのであれば、そこから引くしかなくなり、結果として課金が促進されるだろうという認識。少なくとも自分にはそうとしか見えないんですよね。勿論すり抜けという問題はありますが、その回避方法は他にもいくらでもある(天井常設等)わけで、それを取らずにこんな最悪手を取ったのはそういう目論見があるからではないかなと思っています。ちなみにここ最近限定スカウトが頻発していますが、もう殆どが限定になるものだと見ています。要は「そこで引かないと引けなくなっちゃうよ」という限定性をちらつかせるというか。どこで間違えたのかスマフォゲーは「ガチャでじゃぶじゃぶ稼げる美味しい媒体」という認識が浸透してますから、それにどっぷりつかった人間が考える事はまあ、そういうことだろう。という訳です。
もちろん、課金してもらわないわけにはいきません。しかし、課金してもらう大前提には「ゲームが課金するに値するレベルのものである」という信頼感があります。それがないゲームは課金をしてもらえないか、やめられるかの二択です。よく「稼がないといけないから仕方がない」みたいな論調を見ますが、それは大きな間違い。スマフォゲーというのは基本無料という敷居の低さによって「プレイしてもらう」という部分をクリアしやすくなった代わりに、「儲けを出す」という部分がより難しくなった。もっといえば「先に物を体験してもらってから値段をつけてもらう」という風に動きが変わっただけ。だから、「お金をつけたくない」と思われる時点で良くないんです。本当は。
首はしまるよどこまでも
先日コミケで出た、アニメ『八月のシンデレラナイン』のスタッフが出した本を見ていて、「ああ、やっぱりな」という事が多かったです。現場は凄く厳しい。そして、それを助けもしない上。当事者でもないのに見ていて非常に悲しい気持ちになりました。ああ、そんなことになってるんだな、と。
自分は「良いものを書く才能のある人」が大好きです。でも、そういう人はどんどん生きづらい世の中になっているなとつくづく感じます。見られるのは「ぱっとみまあマイナス点のないもの」ばかり。どこかで見たような、「まあ、いいんじゃない普通に」と言って棚に戻すような物ばかり。そんな状況がここ数年続いています。
『ハチナイ』はコンテンツとしては非常に力のあるものだと思っています。しかし、どうやらそれは半分も活かされないままになりそうだなという現実を強く感じています。そして、それはどう頑張っても変わらないんだなという無力感も強く、強く感じます。
何でこんなものを書いたのか自分でもよくわかりません。だけど自分は今、諦めようとしています。自分の首を積極的にしめつづける業界。その自殺を完全に止めるとまでは行かないまでも、どうしたら緩めることが出来るのか。それくらいは分かっているつもりです。でも、その見立てもどうやら全く活かされることはなさそうです。
アニメ『八月のシンデレラナイン』は恐らく上の想定よりも売れたと思います。それがどのような形で反映されていくのかは分かりません。話の構造的に二期が十分作れるようになっていたので、個人的には二期を見たいところでもあるのですが、どうなんでしょうね。取り敢えずBDの続きを待ちましょうかね。関係ないけど特典はもっと早めに告知した方がいいと思います。DMMのコードで入手できる選手は特に。
それでは、またどこかで。